本記事はrobot digest 2019年6月5日掲載記事を転載しております。
過去には日本ロボット学会の第16代会長(2013~14年)を務め、現在も日本ロボット工業会のシステムエンジニアリング部会長など、ロボット業界の要職を数多く務める三菱電機の小平紀生氏。黎明(れいめい)期から40年以上もロボット産業と共に歩んできた同氏に、自身の半生を振り返るとともに、ロボット産業について思うところをつづってもらった。毎月掲載、全12回の連載企画「随想:ロボット現役40年、いまだ修行中」の第3回。初めての産業用ロボットの開発は手探りだったが、80年末に試作初号機が完成。81年にはアーク溶接ロボット、82年には組み立てロボットを発売した。
念願かなってロボット担当に
名古屋製作所が製造していた初期の溶接用大型ロボット
産業用ロボットの開発計画は、溶接用ロボットから始まりました。なぜならば当時の名古屋製作所では溶接機事業も保有しており、最初が溶接用ロボットから始まったのは必然だったわけです。
応用機器研究所に試作機開発の依頼が来ましたので、手持ちの開発課題は全部当時の上司であった丸山寿一グループマネジャーに押し付けて、ロボットの開発担当になりました。中学生の時に「ロボットを仕事にしたい」と思ってから10年余り後のことです。
メカ開発は名古屋製作所が担当し、研究所側はこれを制御するコントローラーシステムの開発を担当することとなりました。参考文献もあまり無い状態からのスタートでした。
制御を手探りで開発
三菱電機が80年代に開発した小型の垂直多関節ロボット「ムーブマスター」
当時の丸山グループでは先行してNC開発も担当していましたので、電動サーボ制御の基本技術はありました。
しかし、回転軸やスライド軸のさまざまな組み合わせ機構で所定の作業をさせる多関節型ロボットでは、各軸が指令値に従って動くというだけでは、使い物にならないであろうことはそれとなく想像できていました。複雑なメカをどうやって制御するのか? どんな問題が起こるか? プログラミングはどうするのか?
当時は、米国のスタンフォード大学やマサチューセッツ工科大学での先行研究や、ユニメーションの「PUMAロボット」をはじめ国内外で嚆矢(こうし)となる電動ロボットが市場に現れ始めていました。しかし、当然のことながら研究論文や断片的情報ばかりで、具体的な製品化については、やはり手探りなわけです。
大変参考になったのが、1977年に発表された論文「人工の手の運動制御に関する研究」でした。当時東北大学の助教授になっていた内山勝先生(現名誉教授)が、東京大学で博士論文として書いたものです。
その数十年後に内山先生に「先生の博士論文が大変参考になりました」と伝えると、「研究者にとって企業人が参考にしてくれたという話は何よりの誇りです、と言って大変に喜んでくれました。
苦労の末80年にはロボットの手作り試作機が完成。その後製品として81年にはアーク溶接ロボット、82年には組み立てロボットの発売に至りました。
――終わり
(構成・ロボットダイジェスト編集デスク 曽根勇也)
小平紀生(こだいら・のりお)
1975年東京工業大学機械物理工学科卒業、同年三菱電機入社。2004年主管技師長、13年主席技監。日本ロボット学会会長などを歴任し、現在は日本ロボット工業会のシステムエンジニアリング部会長やロボット技術検討部会長、FA・ロボットシステムインテグレータ協会参与、セフティグローバル推進機構理事兼ロボット委員会委員長などを務める。東京都出身、67歳。