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[随想:ロボット現役40年、いまだ修行中vol.7]ロボット事業を一本化、稲沢から名古屋へ【前編】/小平紀生


本記事はrobot digest 2019年10月18日掲載記事を転載しております。

 

過去には日本ロボット学会の第16代会長(2013~14年)を務め、現在も日本ロボット工業会のシステムエンジニアリング部会長など、ロボット業界の要職を数多く務める三菱電機の小平紀生氏。黎明(れいめい)期から40年以上もロボット産業と共に歩んできた同氏に、自身の半生を振り返るとともに、ロボット産業について思うところをつづってもらった。毎月掲載、全12回の連載企画「随想:ロボット現役40年、いまだ修行中」の第7回。三菱電機は1998年、事業強化のためロボット事業を、FAシステム事業本部の主力工場である名古屋製作所に一本化。小平氏も稲沢製作所のロボット部門の半数を連れて名古屋製作所に異動した。


コントローラーを統合

 愛知県稲沢市にある稲沢製作所には、1992年から98年まで約7年間在籍しました。
 バブル経済が崩壊した後の非常に苦しい時期でしたが、ロボット部門はいろいろと実験的な取り組みをさせてもらいました。やりすぎて怒られることも多かったですが、稲沢製作所にはエレベーターという揺るぎない事業の柱があったため、ロボット事業では挑戦的な取り組みも可能でした。

 当時三菱電機では、ビルシステム事業本部の拠点である稲沢製作所と、FAシステム事業本部の拠点である名古屋製作所の2カ所にロボット部門がありました。名古屋製作所のロボット部門は小型の組み立て系ロボットに軸足を置いていました。稲沢製作所は半導体の搬送ロボットを自社工場向けに内製するところから始まり、パレタイズ(荷台への積み付け)ロボットなどの大型ロボットを得意としていました。

 それぞれの製作所が得意分野を追求することで、製品系列やプログラミング言語も独立的に発展してきました。
 90年代のロボット市場は競争が厳しく、汎用で何にでも使えるロボットより、目的に適した機能・性能のロボットでコストパフォーマンスを追求する方向に向かっていました。そのため、得意分野に応じて独立的な発展をしていたのは間違いではないのですが、開発効率は良くありません。
 また名古屋が得意とする組み立て工程から、稲沢が得意とする下流のパレタイジング工程までを一連のシステムにするような商談も目立つようになりました。

 そのため、用途ごとの最適化を前提とした上での基本的なアーキテクチャー(構造)の共通化を関係部門に提唱し、96年に研究所も巻き込んだ合同開発プロジェクトを稲沢製作所内に設置しました。
 コントローラーのソフトウエアは、私が初号機開発をした頃とは文字通り桁違いの規模になっていました。さらに急速に大規模化していたため、この時点でモジュール構造や階層構造など、品質保証と拡張性を考慮して大幅に見直しておかないと破綻をきたすだろうとの予測もこの背景にはありました。

 

名古屋製作所に事業一本化

 90年代後半になってもロボット市場の回復は思わしくないため、98年に事業体制のさらなる強化が図られました。FAシステム事業の主力工場である名古屋製作所にロボット事業を一本化することとなり、私も稲沢製作所のロボット部門を引き連れて名古屋製作所に異動しました。
 コントローラーの共通化は、実はこれを見越して、制御方式やプログラミング言語の統一を意図したものであったことを白状します。

 

当時は営業技術担当だった荒井高志現ロボットテクニカルセンター長(中央)などと、米国シカゴの博物館で

 

 そのため、最も重要な製品系列の体系化は比較的問題が少なかったのですが、その他の部分では苦労しました。
 例えば稲沢は「大きな機械を作る工場」で、名古屋は「電気機器を作る工場」のため、そもそものインフラや社内に保有する機能が違います。外注先や部品調達なども違いますので、製造面での調整は多少期間を要しました。

 また同じ企業ではあっても、稲沢製作所と名古屋製作所では文化も違います。例えば、稲沢はエレベーターという大きな基幹事業があったため、進む方向が決まれば組織全体がそちらを向く巨大戦艦大和のような組織でした。一方、名古屋製作所はFA(ファクトリーオートメーション=工場自動化)関係のさまざまな製品を製造するため、機動的な大規模駆逐艦隊のような製作所で、製品分野や部署ごとに、状況に応じて動くようなところがありました。そのため事業計画の立案や事業成果のフォロー、開発プロセスに至るまで違いがありました。
 どちらが良いか悪いかという話ではなく、それこそ工場の体質や文化というのは事業の歴史の積み重ねの上に成り立っていることを痛感しました。

 社員の多くは一つの工場に就職してそこで定年を迎える、あるいは工場は変わっても同じ事業本部の範囲内で会社生活を全うしますので、開発本部、ビルシステム事業本部、FAシステム事業本部と3つの事業本部にまたがる実務経験は大変貴重だったと思います。もっとも、どれにも染まらないコウモリ人間になってしまったような気もしますが。


――後編へ続く
(構成・編集デスク 曽根勇也)

 

 

小平紀生(こだいら・のりお)
1975年東京工業大学機械物理工学科卒業、同年三菱電機入社。2004年主管技師長、13年主席技監。日本ロボット学会会長などを歴任し、現在は日本ロボット工業会のシステムエンジニアリング部会長やロボット技術検討部会長、FA・ロボットシステムインテグレータ協会参与、セフティグローバル推進機構理事兼ロボット委員会委員長などを務める。東京都出身、67歳。