総合講演の内容について、森先生へお尋ねしたいことがございましたら、下記のフォームにご記入ください。ご記入いただいた内容は、一旦、担当者がとりまとめさせていただき、森先生へメールでお伝えいたします。森先生からお返事いただきましたら、担当者の方から、メールにて後日、連絡をさせていただきます。
第39回日本ロボット学会学術講演会 総合講演
ロボットに対する倫理の根本―地によって倒れる者は、必ず地によって起きる―
演者:森 政弘 様 日本ロボット学会 名誉会長
司会:上出 寛子 様 名古屋大学 特任准教授
日時:9月9日(木),17:00~19:00
森先生の体調がすぐれず、ライブ講演に代えて予め収録した動画によるご講演となりましたが、森先生にご登壇頂くことができ質疑応答を頂きました。
講演抄録
科学的な考え方は、天文学・理工学・医学ばかりか、広く、哲学・心理学などの学問にも大きな成果をもたらしたことは、いうまでもない。
そのためか、現在、「科学的ではない」という言葉は、学問に携わる者の間ばかりでなく、(詩歌などの芸術的世界は別として、)一般社会でも良い意味で使われていない。
ところが諸氏ご承知の通り、科学技術が発達し切った最近、とくに高度経済成長時代以来、さまざまな地球的規模の大難問が次々と頭をもたげて来ている。人口問題、食糧問題、環境汚染の問題、原子力とエネルギーの問題、資源枯渇の問題などがその例である。さらに、今日の新型コロナウイルスやIT関係の大問題もあげられよう。
よく考えてみれば、そのどれもが互いに密接に関連しており、たとえば、爆発的に増大している人口に対し、十分な食料を生産しようとすれば機械化に頼らざるを得ず、それは環境汚染に直結し、資源枯渇に拍車をかけるというふうに、幾重にも矛盾し、芋づる式につながった深刻な大問題であることが分かる。
ところで古今東西に、いくつもの立派な哲学がある。たとえば、古代ギリシャのアリストテレスの形而上学、近代でのデカルトの普遍学、カントの批判哲学、ヘーゲルの弁証法哲学などはその代表的なもので、それらの内容はまさに無限の宝庫ともいえる。しかしながら、上記の諸難問はこれらの哲学や現代の諸学問だけによっては対処しえないように思われるのである。
その理由は熟慮するに、これら難問の根本的原因は、人間が自然から離れ、自然(「しぜん」ではなく、「じねん」)の姿勢を取らず、逆に自然と対立し、自然を人間が便利をするための素材と見ているところにあると考えられる。つまり人間が自然と一つになるという倫理的な姿勢を欠いたところにあると、言うことができる。
本学会が専門とする、「ロボット」も、上記の難問から逃れることはできないと思われるので、表記の演題により、以下の様に述べ、会員諸氏の自覚を促したいと思う次第である。
- 二元論的な科学の論理は万能か?
- 万能ならば、なぜ、上記の様な難問が生じたのか?
- そこから脱却する姿勢として、上記した「人間が自然と一つになる」とはどういったことか?
- それは、論理的には、「二元性一原論」という、二元論も含みながら、二元論を超えた形のものであり、それが宗教の側からいえば、(聖道門の)仏教教義であり、二元論から見れば、それは矛盾に見え、「二元性一原論」からすれば、矛盾を含みながらも矛盾ではないので、表現に苦心して、
- 空(くう)・無・妙・如(にょ)・絶対、など、さまざまな専門用語が用いられている。
- しかしそれは、方便であって、眞實は、語れば眞實ではなくなってしまう世界であり、それを体得するには、「三昧(さんまい)の実践」が不可欠である。
- そのことの実例として、生き方と、会社経営の理念として大成功された、「本田宗一郎様」の体験談から始め、身近な諸例をPowerpointで挙げながら、できるだけ易しく解説する。
- そして、この難解な内容も、本学会の諸氏には、倒れることを逆に活用することで、歩行が可能となった2足歩行ロボットが、良い手がかりを与えてくれると、思われる。(副題はこれを意味する道元禅師のお言葉である。)
この、「総合講演」の結論としては、
(1)何等かの「三昧」という実践が必要なこと。
(2)それは、易しく言えば、「相手との対立ではなく(正確には、対立を超えて)、
人ばかりでなく物に対しても、相手を自分の中に含むようにする心を作ることである。 と、いうことに、参加諸氏に、少しでも、眼を開いて頂こうとすることである。