執筆日 2019年9月12日
執筆者 東風上奏絵
第37回日本ロボット学会学術講演会(RSJ2019)が,2019年9月3日から7日まで,早稲田大学で開催されました.このレポートでは,5日に行われたセッションの1つである「ロボットと生きる・ロボット學再考(2/2)」の様子を報告します.
このセッションでは,ロボット學再考についての基調講演,ロボットの学びの場への参加,ロボット倫理についての発表と議論が行われました.
まずは,各発表の概要を紹介します.
浅田先生(大阪大学)の「ロボット學再考:科学・工学を超えて超域「構成的人間学」へ」では,学際的研究分野であるロボティクスを,「ロボット學」として捉え直す試みについて講演されました.
坂田先生(獨協医科大学)の「コミュニケーションロボットとの共生が学びの場に及ぼすもの」では,コミュニケーションロボットが学びの場に導入されるとどのような効果が得られるかについて, 2014年から約5年間の知見が紹介されました.
松浦先生(東洋大学)の「呪われた孤児としての現存せざるロボット」では,ロボット倫理の問題を扱う際にSFの議論から距離をおくべきではないかという主張がされました.
小山先生(山口大学)の「不安と信頼から考えるロボットの価値」では,新しい技術としてのロボット技術を社会に受容させる上で,技術に対する人々の不安を取り除くのではなく適切な形で扱うことの重要性が指摘されました.これらの中から,「コミュニケーションロボットとの共生が学びの場に及ぼすもの」と「呪われた孤児としての現存せざるロボット」について詳しくレポートします.
「コミュニケーションロボットとの共生が学びの場に及ぼすもの」
坂田先生は医療を学ぶ学生の教育の場に人型ロボットPepperなどのコミュニケーションロボットを参加させています.
写真:大学の学びの場に導入されているロボット達.PepperやSota,キロボミニやAiboなどのロボットが映っています.左側奥のPepperには眉毛が描かれています
テクノロジーを積極的に活用できる医療人材が必要という背景のもと,技術に触れるきっかけとなるように,例えば看護学生の教室にロボットを参加させています.
実際に,授業終了時アンケートの中で,ロボットが医療分野でも用いられていることや,自ら情報収集していくことの重要性に学生が気づきを得たことが紹介されました.また,ロボットを使ったアプリ開発を通した課題解決型の授業も行われているそうです.発表では,高齢者対象の体操支援アプリの開発事例が紹介されました.
坂田先生は,ロボットが単に学びの場に参加するだけではなく,先生とロボット(Pepper)が一緒に授業を行う,協働授業にも取り組まれています.ロボットがいると学生の反応が良くなり,場が和むそうです.また,ロボットが喋っている間,先生はその時間を使って,学生の様子を観察したり,次の準備をできるという利点があるそうです.
写真:コミュニケーションロボットとの協働授業.先生と眉毛の描かれたPepperが交代で話します.
レポート執筆者は,先生と一緒に授業を行う Pepper に眉毛が描かれ,キャラ付けがされ ていたことに興味を持ち,先生に質問をしました. 5年間の授業の中で,先生と授業を行う Pepper は,学生に単なる「Pepper」ではなく先生の相棒として認識されたか,と伺った所,学生たちはロボットのいる授業環境の新規性に反応し注目しています.しかし,授業の中で利用する時間が短いため,ロボットに対して愛着はそこまで抱かれていないようです. 愛着を抱かせるという視点も含め,継続的に活用していくためには,ロボットがいることを前提とした授業環境のデザイン作りが大切だとコメントを頂きました. 人と接するロボットをある環境に導入する時に,どのような役割を与えるかというデザインは,今後のヒューマンロボットインタラクション分野の研究にとって重要な論点であると考えます.ロボットが教育の場で活用さ れている実際の様子を共有して頂き,ロボットと一緒に暮らす未来に思いを馳せました.
「呪われた孤児としての現存せざるロボット」
最初に,ロボット倫理の問題を扱う際にSFの議論から距離をおくべきではないかという主張がされました.
写真:ロボット倫理の問題を扱うときに,SFの議論から距離をおくべきではないか.冒頭で示された発表の要点についてのスライドです.
背景として,ロボット倫理・AI倫理の現状は,SF上の議論になっており,リアルではないということがあります.SFの前提として,ロボットが人を不幸にするという筋書きがあり,倫理的問題を起こすことは織り込み済みであると言えます.だから,人とロボットの共存に向けた議論から出発すべきで,ロボットの現状における本質の理解と,古典的社会観のすり合わせをしたいという提言がなされました.
写真:人とロボットの共存のための土台として,何を議論の基盤にすべきか.古典的社会観の1つの例として,プラトンの『国家』が示されました.
レポート執筆者は,子どもとロボットのふれ合いをテーマに研究を行っています.松浦先生の発表を聴講し,将来哲学・倫理学研究者やロボット研究者が集まり,子どもとロボットの共存に向けて議論する場があるといいなと思いました.子どもの興味を引き付け,ふれ合いを持続させるのに,そもそもロボットにどのような役割が必要なのかという議論に始まり,子どもによるロボットのいじめや,子どもとロボットの力関係をどう調整するか(成長の過程にある子どもに比べて色々なことができるロボットがいることは望ましいのか),ロボットとふれ合いたくない子どもとロボットの共存はどうするかなど,共存に向けた課題はたくさんあります.哲学者や倫理学者からどのような提言がなされるか,とても興味があります.
「ロボットと生きる・ロボット學再考(2/2)」の報告レポートは以上です.この他にも,「ロボットと生きる・ロボット學再考(1/2)」,「インテリジェントホームロボティクス(2/4)」のセッションについても報告していますので,そちらも是非ご覧ください.
2C2_ OS12_ロボットと生きる・ロボット學再考(2/2)
2C2-01 【基調講演】ロボット學再考:科学・工学を超えて超域「構成的人間学」へ
-人工痛覚が導くロボットの共感・道徳・倫理の概念や能力創発の可能性を例に-
○浅田 稔(阪大)
2C2-02 コミュニケーションロボットとの共生が学びの場に及ぼすもの
○坂田 信裕(獨協医科大学)
2C2-03 呪われた孤児としての現存せざるロボット
○松浦 和也(東洋大)
2C2-04 不安と信頼から考えるロボットの価値
○小山 虎(山口大学)