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1 はじめに
筆者は,動物型ロボットとの触れ合いによる心のケア“ロボット・セラピー” を提唱し,アザラシ型ロボット「パロ」(図1)の研究開発を行い,そのセラピー効果を検証するため,国内外の様々な医療福祉施設にて実証実験等を行ってきた [1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8].本稿では,これまでに行った実験のうち,高齢者を対象とした代表的な日本国内での実験を紹介し,その目的や評価方法について紹介する.なお,いずれの実験も(独)産総研の実験倫理委員会の承認の下,実施されている.
2 ロボット・セラピー実験における留意点
ロボット・セラピーは,アニマル・セラピーにおける動物に代わり,安全・衛生的な動物型ロボットを用いることにより,アニマル・セラピーよりも容易に実施できるとともに,アニマルセラピーと同等の効果を人に与えることを目的としている.アニマル・セラピーの効果として,以下の3 種の効果があると言われており [10],実験においてはロボット・セラピーが,それらの効果を有するか実証することが目的となる.
心理的効果:笑顔や動機の増加,「うつ」の改善等
生理的効果:ストレス,血圧の低下等
社会的効果:コミュニケーションの増加等
筆者らは,パロによるロボット・セラピーにおいても,これらの効果と同等の効果をもたらすことを実証するために,実験室における生理心理実験を実施したり,医療福祉施設での臨床・実証実験を行ったりしてきた.これらの実験を進めるにあたっては,ロボットが人と相互作用するため,実験を開始する前に,倫理委員会で被験者・家族等への説明,安全性,データ(個人情報)の取り扱い等が議論された.
例えば,2000 年に実施した筑波大学付属病院小児病棟でのロボット・セラピー実験においては,被験者は悪性リンパや白血病等のために隔離病棟において長期入院中の子供達であった.そのため,筑波大学付属病院の倫理委員会から,安全性に関して,パロの人工毛皮について感染症等の問題が生じないように,抗菌加工,防汚加工,脱毛防止(毛の編み方に工夫)等,十分に安全性に配慮することを求められ,その対応を行った後に実験実施の承認を得た.その後の高齢者向け等のロボット・セラピー実験についても,パロの人工毛皮については,同等レベルの安全性で実施してきた.
また,高齢者向けの安全性としては,ふれあい時にパロが心臓近くで抱きかかえられることが多いため,ペースメーカの利用者等に問題を発生させないようにする必要があり,パロには電磁シールドを行うことで,電磁波の漏洩を防ぎ対処した.
一方,セラピー効果の評価方法については,研究当初は類似の研究事例がなかったため,実験評価方法そのものから検討する必要があった.ロボット・セラピーの実験場所は,対象者が利用・生活している医療福祉施設では,実験室実験のように実験者が一方的に実験計画を立案・実施することが不可能であり,実施場所となる施設と,十分な事前打ち合わせが必要であった.実験計画にあたっては,目的とする結果が得られるようデザインするとともに,日常の業務や生活の中に被験者や施設の負担が最小となるよう実験を組み込むことが重要となる.特に,評価手法には信頼性と非侵襲性,拘束時間等とのバランスを考え選択することが求められる.
3 実験事例
3.1 長期的効果の検証実験
パロとの触れ合い,および,その効果の持続性を確認することを目的に,2003 年8 月から現在まで「介護老人保健施設」にて実験を行っており,被験者は前記施設入居者14 名であった [3, 4, 5].
本実験は,2002 年に実施した約6ヶ月間の予備実験により明らかとなった施設の被験者や介護者の負担等を勘案し,週2 回,各1 時間程度,パロとの触れ合い時間を設け,グループで実施した.調査はパロ導入前,導入後は2 週間に1 回の頻度で行った.
評価方法には,Face Scale[11],Geriatric Depression Scale (GDS) [12],尿検査を用いた.データの取得には,産総研から研究者が施設を訪問して,個々の被験者等に対して聞き取り等を行った(図2).
Face Scale は被験者の気分の状態を笑顔から泣き顔まで書かれた20 個のイラストより被験者自身が選択する.高齢者でも容易に短時間で回答することができるよう,オリジナルのFace Scale を基に,図3 のように笑顔から泣き顔まで7 段階の短縮版を作成し,主にパロとの触れ合い前後での気分変化を把握する目的で用いた.パロを導入前の気分の状態と,パロの導入後は調査日ごとに,パロとの触れ合い時間の前後で合わせて2 回実施した.
Geriatric Depression Scale (GDS)は,高齢者のうつ状態を把握する目的で医療現場でも一般に使用されている調査票である.30 項目版と15 項目版の短縮版が存在するが,ここでは回答者の負担が比較的少ない短縮版を用いた.パロ導入前,導入後は調査日に実施した.スコアが6 点以上では「うつ」を示唆しており,11 点以上ではほとんど常に「うつ」とされている.
尿検査は,被験者のストレス状態を生理的に評価する目的で尿中ホルモン,17-hydroxycorticosteroids (17-OHCS)と17-Ketosteroidsulfates (17-KS-S)を調査した.17-OHCS はストレス負荷時に上昇し,17-KS-S は健康時に高値,病気やストレス時に低下を示す [13].二つの指標の比をとることで,包括的にストレスの状態を把握することができる.パロ導入前,導入後は2 週間ごとに,パロとの触れ合い活動の翌日に実施した.この研究では,尿中ホルモンの計測は外部の専門機関に委託し,その結果のデータ分析は医学博士を有するテクニカル・スタッフが担当した.
3.2 社会的効果の検証実験
社会的効果を検証する目的で,「ケアハウス」にて実験を実施した [6, 7, 8].ケアハウスは高齢者向けの寮という表現が近く,比較的自立した高齢者が入居しており,食事,入浴等の共通サービスのほかは各自自由に過ごされていた.
実験は,施設内エレベータホール前の談話スペースへ1 年間毎日8:30〜18:00 の間,パロを導入し,入居者は自由にパロとの触れ合いを行った(図4).
評価方法として,インタビュー,談話スペース滞在時間,尿検査を用いた.なお,被験者は施設入居者12 名であった.
インタビューは被験者個別に実施し,各自の背景や施設での生活,パロについて伺ったあと,施設内の交友関係についてfree-pile sort method を用いて調査した.これは,入居者の名前が記載されたカードを用い,回答者に対し自由にそのカードを各自の交友関係に基づきグループ化させる調査方法である.インタビューは1 回あたり30 分〜1 時間程度,パロ導入前,導入1ヶ月後,2ヶ月後,半年後,1 年後,パロ撤去後に実施した.
談話スペースでの滞在時間を調査するため,ビデオカメラを設置した.長時間録画とプライバシーの観点からパロ導入時間帯のみ録画するため,大容量のHDD ビデオデッキとそのタイマー録画機能を用いた.ビデオ記録は1 日あたり約10 時間,パロ導入1ヶ月前から導入後までの2ヶ月間,半年後に1ヶ月間,1 年〜撤去までの1ヶ月間実施した.各被験者の滞在時間や行動(パロとの会話・ふれあい,パロを交えた被験者同士の相互作用,パロを交えない被験者同士の相互作用等)について,記録映像を人がすべてのシーンを観察・計測・分析した.この分析には,3 人から4 人のテクニカル・スタッフがあたり,約3 年間かかった.
尿検査は,3.1 節と同じく尿中ホルモン17-OHCS,17-KS-S を調査した.パロ導入前,導入10 週目まで2 週間ごとに実施した.
(a) ケアハウスの構造とビデオカメラ設置場所(2 階と3
階の談話スペース(public area)にパロを配置)
(b) 談話スペースでパロとふれあいながら会話する被験者ら(固定ビデオの映像より)
3.3 認知症患者に対する検証実験
ロボット・セラピーにより,認知症患者の不安や徘徊が抑制される事例が数多くみられた.そこで,認知症患者に対する効果を脳機能の面から評価するため,「脳神経クリニック」にて実験を行った.被験者はクリニックに通院している認知症患者14 名であった [9].
実験はパロとの触れ合いを約20 分間,5〜10 名の患者グループに対し複数日実施した(図5).
評価方法として,脳機能研究所が開発した脳波解析手法,DIMENSION を用いた [14].DIMENSION は認知症の早期発見手法として病院等で用いられている.脳波計測は,頭部の21 カ所の電位を計測するため,被験者の頭皮に電極を取り付け,パロとの触れ合い前後に安静な状態で毎回1 人ずつ計測した.また,パロの印象に関するアンケート調査も触れ合い後に実施し,パロに対する印象と脳活動状態との関係について調査した.
4 まとめ
アザラシ型ロボット「パロ」を用いたロボット・セラピーの効果の臨床・実証実験として,高齢者を対象とした代表的な実験事例を紹介した.詳細に関しては,文献を参照されたい.いずれの実験も限られた被験者数であり,また,コントロールグループは用意されていない.しかしながら,ロボット・セラピーのような新しい分野では,評価方法が確立されておらず,また,効果の存在可能性そのものを確かめる必要があり,これまでの実験は,この二つの点について取り組んできたと言える.今後は,より多くの被験者やコントロールグループを用いた実験を行う予定である.これにより,ロボット・セラピーを医療保険の対象にすること等を目指す.
なお,パロの実用化にあたっては,特に安全性に関して,欧州についてはCE マーク,RoHS 規制等,アメリカについてはUL,MET 等の安全認証,さらにはFDA (食品医薬品局)での医療機器の審査等を経る必要があり,膨大な時間とコストがかかった.
参考文献
[1] T. Shibata, et al.: “Emotional Robot for Intelligent System — Artificial Emotional Creature Project,” Proc. of 5th IEEE Int’l Workshop on ROMAN, pp.466–471, 1996.
[2] T. Shibata: “An Overview of Human Interactive Robots for Psychological Enrichment,” Proceed IEEE, vol.92, no.11, pp.1749–1758, 2004.
[3] 和田他:“介護老人保健施設におけるロボット・セラピー―実験一年目における評価―”,計測自動制御学会論文集,vol.42, no.4, pp.386–392, 2006.
[4] K. Wada, et al.: “Long-term Robot Therapy in a Health Service Facility for the Aged — A Case Study for 5 Years —,” Proc. IEEE 11th International Conference on Rehabilitation Robotics, pp.930–933, 2009.
[5] T. Saito, et al.: “Change of Stress Reaction of the Elderly by Interaction with Robot Seal in Health Service Facility for the Aged,” Proc. SCIS&ISIS, #FP-4-2, 2004.
[6] K. Wada and T. Shibata: “Living with Seal Robots—Its Socio-psychological and Physiological Influences on the Elderly in a Care House,” IEEE Transactions on Robotics, vol.23, no.5, pp.972–980, 2007.
[7] K. Wada and T. Shibata: “Social and Physiological Influences of Living with Seal Robots in an Elderly Care house for Two Months,” Proc. of the 6th International Conference of the International Society for Gerontechnology, paper #62, 2008.
[8] K. Wada and T. Shibata: “Social Effects of Robot Therapy in a
Care House — Change of Social Network of the Residents for One Year —,” Journal of Advanced Computational Intelligence and Intelligent Informatics, vol.13, no.4, pp.386–392, 2009.
[9] K. Wada, et al.: “Robot Therapy for Elders Affected by Dementia,” IEEE Engineering in Medicine and Biology Magazine, vol.27, no.4, pp.53–60, 2008.
[10] 横山:アニマルセラピーとは何か.NHK ブックス,1996.
[11] C.D. Lorish and R. Maisiak: “The Face Scale: A Brief, Nonverbal Method for Assessing Patient Mood,” Arthritis and Rheumatism, vol.29, no.7, pp.906–909, 1986.
[12] 鈴木他:高齢者うつ病診療のガイドライン.南江堂,2003.
[13] 西風:“適応のゆがみ―磨耗と修復―17-KS 硫酸の意味するもの”,産業医科大学雑誌,vol.15, no.3, pp.183–208, 1993.
[14] T. Musha, et al.: “A New EEG Method for Estimating Cortical Neuronal Impairment That is Sensitive to Early Stage Alzheimer’s Disease,” Clinical Neurophysiology, vol.113, pp.1052–1058, 2002.