■ 触覚が注目されている理由
板生
AIやロボットの観点から見た触覚に話を絞りたいと思います。どんな社会問題に対して触覚を実装していくのでしょうか。また、その上での課題や問題点は、なにかありますか。
下田
痛みや触覚に関わるプロジェクトが多く立ち上がっている理由は、どれだけ役に立つかが知りたいと考えられているからではないでしょうか。今、私たちが社会問題の解決として目指している方向性の多くは、超高速な乗り物や通信機器、超高層な建物が欲しいなどの物質的な豊かさを求めるのではなく、「仲良くなりたい」などのコミュニケーションに欲求が向きつつあるのではないか?と感じています。その上で、遠隔から円滑にコミュニケーションを取るにはどうしたらいいのか、という内面を見つめていくことを社会が重要視しているから、これらのプロジェクトが増えていると思います。
外村
「働き方改革」もそうですし「SDGs」の言葉も確かにそうですね、誰一人取り残さず、みんなのQOLをあげましょうというと、実現するための要素技術として重要になると思います。ひとりの人が、たくさんの人にリモートで接する世の中がくると思います。
平田
「ダンバー数」をご存知ですか?「人間がコミュニケーションを通じて、ひとつの集団を作って、意思を同じくして動けるのはだいたい150人くらいである」という説です(ロビン・ダンバー、イギリスの人類学者が提唱)。反論もたくさんありますが。例えば、軍隊の小隊の規模とか集落の大きさとか比較的に一致すると考えられています。伝言ゲームをして相違なく伝わるのもこのくらいだと思います。「SNSはこれを拡大してしまった」ものだと思っています。空気を揺らして音で伝えるという伝達手段から生活様式が大きく変わり、同じ意見を共有できる人たちが、リモートで大きく広がった結果だと思います。
そこに視覚や音声だけでなく、触覚という内部で閉じていた情報の共有、それがまさに藤原さんが開発している技術だと思っています。その驚きは国を超えて誰でも感じる「触覚を共有できる」ということです。これが当たり前になる時代がくるのかもしれません。
南澤
私もムーンショット以外に「デジタル身体性経済学」というのを始めています。これは経済学者や心理学者の方々と連携して、触覚がネット上で共有される世界では、どのように意思決定が変化するかの研究です。
テキストとか声のやりとりをモデル化したゲームで従来の経済学の様々な意思決定をシミュレーションしていくのですが、そこには身体的接触のファクターというのはあまり入っていません。お互いの共感とか信頼感とか、親密感など、かつて村や家族など血縁をベースに使っていたコミュニティというのがだんだん拡大して、都市、国家型都市というものが生まれ、法律とか条例によってルールを規定して、コミュニティを拡大しました。SNSが登場する前の話です。それがインターネット上では、ルールではなくて「繋がり」というものによってコミュニティが拡大しています。デジタルの世界の上で、我々が持っている身体的な共感形成、というのをもう一度再構築しようというのに取り組んでいて、これから必要になってくるのではないかと思っています。
ひとつ面白い実験の例を紹介すると、従来のいわゆるテキストベースのゲームをやった後から「触覚」の要素を加えても遅いのです。最初に触覚を入れて「お互いの信頼形成」をしてからやると上手くいきます。触覚的な繋がりというのは、お互いの信頼形成の初動のところで効いてくるので、医療の分野もそうですが、最初の接点で触覚をどのように取り入れていくかっていうのがポイントだと感じています。
■ 触覚は情動を直接動かす
平田
これは10年前に見つかった触覚の非常に重要な役割に関する話なのですが、触覚は情動を直接動かすことが知られています。触覚の繊維「アフェクティブC-Touchファイバー」は、自律神経と同じ太さで非常に細いのです。毛根の近くにあって密度が高く、撫でると安心を感じる。例えば、髪の毛がそよ風で揺れると気持ちが良かったり、こどもの頭を撫でたり、前腕を撫でたりすると、フッと幸せを感じる。
猿の毛繕いもそのひとつと言われています。猿というのはダンバー数が40くらいと言われていますが、やっぱりコミュニティを維持するためにいろんなことをやります。音声とか視覚だけではなくて触覚の部分を大事にする。私たちも本当はやっていたのですが、最近はセクハラになるので触れないですね(一同笑)。本来はそれをやると本当に仲間になれる、という部分もあるのです。
南澤
祭りがあることもそれに関連していると思います。いわゆる裸に近い状態で「神輿を担ぐ」というのは文字通り身体接触を共同で行っている行為で、「一緒に神輿を担ぐ」というのはコミュニティ維持のための身体接触機能だったと捉えられると思います。
まさにこれが全部失われたのがコロナ禍の状態です。アメリカだと「スキンハンガー」といって、今度はさっきのCTファイバーの接触感覚がなくなることによってストレスとか孤独感が高まることが社会問題になっていて、これをどうやって再構築するのか、ということが課題となっています。
神崎
今、VTuberが流行っています。VTuberのアイドルは普段アニメの3DCGキャラクターのような姿で、「バーチャルアイドル」として動画の投稿や配信を行っています。その人たちがファンとの交流会を行う場合、画面越しに会話だけでやっていました。しかし、ロボットを使った握手会が登場し、そのVTuberがロボットとしてそこに実在し、握手ができる、ハグができる、ということにファンの人は感動を覚えています。
また、ユカイ工学の「甘噛みハムハム」というロボットがクラウドファンディングで爆発的に支援されました。見た目は犬や猫のヌイグルミですが、口に指を入れると甘噛みをするしくみが入っています。マイコンで制御されていて数10種類の甘噛みパターンがあります。単にそれだけなのですが、指を突っ込んでハムハムしてもらえると嬉しいと感じるだろうな、癒されるだろうなぁというイメージから多くの人が支援のクリックをしたのです。触覚は情動を直接動かすと言うことです。
藤原
平田先生の「テクノロジーパラドックス」という言葉がありまして、それは技術が進めば進むほど人が孤立化していくというというものです。携帯ひとつでUBERを呼んで移動もできるし、ご飯も配達される。しかし、一方で無意味な接触によって得られていた身体認知、意識上ではなくて無意識の部分の身体認知が欠落していく。人はそこに渇望感があるのではと考えます。だからこそ触覚が重要なのではと感じます。少しでも人をつなげられる様な、触ってみて、自分の中の社会性をこの人には認める、といったような繋ぎ止めができるのが触覚なのではないかと思っています。
■ 働き方改革やQOLに触覚を活用
板生
ひとつ気になっていることは「人間の研究がまだまだ十分にできてないのではないか?」ということです。嬉しいとか悲しいなどの感情、人間のココロはどういうものか、自律神経はどう関係しているのか。触覚と自律神経の関係は。これらの研究はあるようでどこまであるのかわからない。「ああだろう、こうだろう」という議論だけで終わってしまっているのではと思います。一緒に研究している駒澤さんを紹介します。
駒澤
私は、自律神経を含めて工学的な観点から、ウェアラブルのセンサーを使って心拍などを日常的に収集して解析する研究をしています。触覚やそれに関連するものにも興味があります。先般「身体化認知理論」で、柔らかいものを触った触覚によって人の感情を変えられるかという、呼吸法と触覚を合わせた実験をしました。普通に呼吸法をやった時より、柔らかいボールを持って同じ呼吸法をやった時の方が、感情のリラックス効果が高いという結果でした。先ほどの文脈で言うと、働き方改革、QOL向上というところで、リラックス効果のある呼吸法に触覚を追加することで、感情をより効果的に穏やかにすることができるという視点が考えられます。それをきちんと人間情報としてセンシングして可視化し、手元で見える様な社会実装が必要なのではないかなと思っています。
駒澤 真人氏 (WINフロンティア)
板生
今、お話したことはほんの一部で、AIを含めて今後も継続的に技術研究していく必要があると考えています。センサーから得た情報をどのように処理していくのかは、人間がどう処理しているのかを深掘りすることが必要だとも思っています。
■ 要素還元研究の重要性
下田
駒澤さんが研究しているのは「どれだけ要素に還元していくか」という課題だと思います。ある種のエンジニアリングやサイエンスというのは元々どれだけ要素に還元するのかという部分が勝負だということです。うまく話をまとめて、面白おかしくみんなが「理解できたような感じ」にするだけではなくて、いかに還元して「何がどうなっている」という部分を明確にしていかなくてはいけないと感じています。
南澤
私も最近、まさにやりはじめている部分です。全身触覚を与えたときの人のリラックス、いわゆる「マインドフルネス」に近い状態を作る研究の中で、その時の脳波変化や生態情報のセンシングをしています。そこで難しいのは「要素への還元」です。
下田
そういう意味では、我々は「全体論をうまく調整するための設計論」も、議論の対象にあげていかなくてはいけないと思っています。まさに東洋医学と西洋医学の差のようなものかもしれません。東洋医学は中国4000年の歴史を持っても、未だに西洋医学の様にプロセス立てて説明できていません。できないにしてもなんらかの設計論を作らない限り、永遠によくわからない。それと同様に触覚についても、どう落とし込むのか、ということを議論していかないといけません。
板生
座談会の議論の目標は、これで一応達したということにしたいと思います。私の呟きは要するに「人間をもっと研究しよう」、そして科学的に裏付けられた話をしよう、ということです。
下田
ありがとうございました。非常に盛り上がった議論になりました。結論というわけではないですが、板生先生の厳しい最後のひと言と我々の目指すべき方向性が一致しているのを確認できました。南澤先生と平田先生、3つのプロジェクトの座談会ということで進行しましたが、目指すべき方向性はかなり似ているのだということもわかりました。上手くコラボレーションしながら今後も活動していければいいなと思います。今日は長い時間、大変ありがとうございました。
---おわり
日本ロボット学会誌40巻8号特集「触覚と疼痛、意識と無意識、知覚と認知-遠隔触診の実現を通して探る新たな知性-」も併せてご覧ください.
参加メンバー
モデレーター:
- 板生清先生 (東京大学名誉教授 特定非営利活動法人「ウェアラブル環境情報ネット推進機構」理事長)
パネリスト:
- 下田 真吾先生 (国立研究開発法人理化学研究所 トヨタ連携センター 知能行動制御連携ユニット ユニットリーダー)
- 平田 仁先生 (名古屋大学予防早期医療創成センター 教授、名古屋大学大学院医学系研究科 機能構築医学専攻 人間拡張・手の外科学講座 教授、医学博士)
- 南澤 孝太先生 (慶應義塾大学 大学院メディアデザイン研究科 教授・博士(情報理工学))
- 藤原 武史氏 (豊田合成株式会社 ライフソリューション事業本部 主監(e-Rubber・ヘルスケア))
- 外村 雅治氏 (NEDO 「人工知能活用による革新的リモート技術開発」 プロジェクトマネージャー)
- 駒澤 真人氏 (WINフロンティア株式会社 取締役)
- 神崎 洋治氏 (ロボットスタート株式会社 ロボスタ編集部)
執筆・編集:神崎洋治
1985年法政大学卒。OA機器メーカー、パソコン周辺機器メーカーを経て、1996年に起業、渡米してシリコンバレーでパソコンとインターネット業界の最新情報を取材し、日本のメディアや新聞等に寄稿。著書多数。ロボカップ公式ページのライターやWRSの審査員をつとめる。ロボスタの責任者。
ロボスタ: https://robotstart.info/