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日本ロボット学会誌42巻1号「「文化」としてのロボット」


「「文化」としてのロボット」特集について

日本ロボット学会誌42巻1号「「文化」としてのロボット」

  • ロボットを「文化」の中で考える(佐倉 統)
  • ロボットとジェンダーについての比較文化的考察(久野 愛・板津 木綿子)
  • ロボットのファッション:装う身体/装わない身体から考えるヒトとテクノロジーの関係(藤嶋 陽子・川崎 和也・佐野 虎太郎)
  • 〈 弱いロボット〉と文化(岡田 美智男)
  • 自発的な運動をパフォーマンスに取り込むことについて(池上 高志・升森 敦士)
  • 文学とロボット(巽 孝之)
  • 制御の外側で身体に出会う-ロボットと障害(伊藤 亜紗・中嶋 浩平)


 この特集はロボットについて「文化」の様々な領域から考えるものである.「文化」にカギカッコを付けてある理由は,冒頭の佐倉の論稿で説明しているのでお読みいただきたい.
 ロボットに限った話ではないが,あらゆる技術は社会の中で動き,社会の中で使われることで人々にとってはじめて意味のあるものになる.そして社会と技術は相互に影響し合いながら,お互いに変化していく.技術が社会を変えるだけでなく,社会も技術を変えていく.新しい萌芽的な技術が社会に普及し始めると,それによって社会がどういう影響を受けるかがしきりに議論され,規制や指針などの対応が検討される.もちろんそれらは重要な作業だが,一方の社会からの技術への作用(技術の社会的形成social shaping of technology: SST)についても把握しておかないと,規制や指針が有効でないものになってしまったり,すぐに陳腐化してしまうことになりかねない.そして,「文化」はそのようなプロセスにおいて最も重要な役割を果たすものの一つである.
 しかし一方で,「文化」はとてつもなく扱いにくいものでもある.食文化や服飾文化のように日々の生活を構成する要素もあれば,演劇や文学のように芸術の領域の文化もある.人々の社会行動に影響する規範文化や宗教的信仰もある.これらをすべてひっくるめて「文化」と括ってしまうのは,乱暴な話ではある.
 本特集では,このような「文化」の複雑さと多様さを踏まえつつ,様々な文化的領域(文学,演劇,服飾,思想)におけるロボットの様相を把握し,ロボットに関する概念(身体性,対人関係)の考察を深めることを意図している.これが成功しているかどうかは読者の御判断に委ねるしかないが,ロボットやAIに関して今までとは少し違う角度からの議論のきっかけになれば幸いである
 よく知られているように,もともと「ロボット」は,カレル・チャペックの1920年の戯曲『R.U.R.』でこの用語が使われたのが初出である.つまりロボットは演劇という文化の一要素であり,文化的存在であった.そこから「ロボット」が概念や表象として変容し拡散していく過程で,技術によって実体を与えられ,技術体として成長して今に至っている.ロボットが様々な社会的文脈で実用に供される場面が格段に増えた現在は,もう一度この出自を見直し,「文化」としてのロボットについてあらためて考えるのに相応しいタイミングであると思う.

(佐倉 統 東京大学/理化学研究所)