つい最近,あるSF作家の死去を知らされた.八杉将司(やすぎ まさよし)氏(40代)である.本学会では 特集「創立 30 周年記念特集号 ― ロボット学会新世代:世界に向かって ― 」(第30巻 第10号)において,琴坂先生が企画された「座談会:ロボットが社会に与える影響」に参加頂いている.2003年の第5回日本SF新人賞を受賞して,期待の新星だったようである.座談会では,「ロボットの死の概念」に言及されているが,これは,筆者の究極のゴールの一つでもあり,間接的ではあるが,ロボットの痛覚を共感にからめて論議している[1].どちらかというと,控えめな印象の八杉氏の議論であったが,翌年の 特集「日本ロボット学会-日本SF作家クラブ 共同企画 ―ロボット工学とSF―」(第31巻 第10号)では,随想「サクセッション」を寄稿頂いている.10ページの短編だが,時間のスケールが4世代に渡っており,技術の伝承が近未来の技術(の可能性)と一緒に描かれており,大仰でないヒューマニティが垣間見える佳作と評したい.冒頭の日野陽介の奥さんの癌による死去から始まり,生物としての死がありながら,作品が残ることで,控えめだが心の中にしっかりとそのヒトが生き続ける.昨今のVRによる故人の再生は度が行き過ぎて,自然な受け入れからは遠い気がしており,八杉作品の落ち着きがほしいところである.
実は,筆者の身内に不幸が昨年,今年と続いた,高齢の母(100歳)の死去は,自然の摂理として受け入れられるが,次男の死去(42歳)は受け入れがたい.次男はトイカーのデザイナーで多くの作品を残しており,死後も同僚が設計図をもとに新しい作品を生み出してくれている.救われる思いである.
八杉氏も作品を残しており,その作品にふれることで,生き続けていると念じたい.冥福を祈るばかりである.
[1] 浅田稔. 人工痛覚が導く意識の発達過程としての共感,モラル,倫理. 哲学, No.70, pp.14--34, 2019.
浅田稔
元会長,現在,大阪国際工科専門職大学 副学長,及び大阪大学先導的学際研究機構 共生知能システム研究センター特任教授