SEARCH
MENU

活動報告2021:ロボット考学研究専門委員会


1. 研究専門委員会での議論

 昨年度は委員会のメンバーで合宿を行い、ロボット技術の円滑な社会化におけるプライバシーに注目した議論を行なったが、今年度はコロナ禍ということもあり、オンラインでの議論が主な活動となった。本研究委員会では、特に、自宅でサービスロボットを用いる状況を想定したプライバシーについて検討を行なって来ているが、今年度は関連する最新の知見を委員会で共有し、議論した。第8回 ロボット考学研究専門委員会(公開)(5月20日)では、中川裕志先生(理化学研究所・革新知能統合研究センター)が、AIとプライバシーに関するご講演をしてくださった。AI倫理に関しては多くの倫理指針が国内外で公開されて来ており、技術の社会化に際しては、個別の学術研究だけではなく、政治的な影響や文化的な視点を考えることが重要であることが指摘された。国内では、アジャイル・ガバナンスなどの報告書も公開されており、社会制度的な方向性を参照しながら検討を進める必要性を確認した。第9回の委員会(公開)(8月6日)では、仲宗根 勝仁先生(理化学研究所・革新知能統合研究センター)が、哲学的な分野におけるプライバシーの分析方法についてご講演くださった。アクセス制限や秘密性、プライベート/パブリックの二分法といった特定のプライバシー概念に依拠することなくプライバシーの諸問題を柔軟に扱うなどの理論的な枠組みが紹介されるとともに、理論的な合理性と合わせて、評価の再現可能性や客観性についての問題について議論が行われた。これらの知見に基づき、引き続き、プライバシーに関する技術的な課題と心理的な評価、哲学的な概念分析を接続できる枠組みの探索を行いたい。

 

2. 学術講演会での企画

 今年の学術講演会でも「ロボットと生きる」というタイトルでオーガナイズド・セッションを企画した。特別講演では、ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパンの代表取締役重見聡史氏が、人と機械システムの共存協調に関するコンセプトや先端的な研究成果についてご講演くださった。ホンダ内において、今後さらに24時間人間と共存したいと思えるロボット技術の実現を目指す点で、やはりプライバシーは問題となっており、特に欧州で議論が進んでいるという。具体的には倫理的な視点からの考察とともに、個人が特定されないデータの保持の仕方についての工学的な研究があることなどが議論された。

 

3. 総合講演の準備と実施のお手伝い

 本研究委員会の企画ではないものの、本委員会の名誉委員でいらっしゃる森政弘先生の総合講演に関しても、数名の本委員会の委員が準備や実施に関わった。森先生とは3ヶ月前からご一緒に準備を始めた。8月最初にはスライドの第1バージョンが完成し、その後、委員とのやりとりを経て、何度か改訂された。どのように質疑応答を進めるかなどについて、入念なリハーサルも行なった。当日は森先生の体調が優れず、そのリハーサルの動画を流すこととなったが、森先生ご自身も講演の会場に来てくださった。当日行う予定をしていた質疑応答の一部を以下に示す。(リハーサルの動画では、司会である上出の不手際で、以下の内容が全て語られたわけではない。)

関連リンク:
RSJ2021総合講演「ロボットに対する倫理の根本―地によって倒れる者は、必ず地によって起きる―(森政弘 日本ロボット学会名誉会長)」

 

発言者

(1)言語の限界

上出

今、言葉や表現というものの本質的な限界についてお話をされましたが、先生も本日はこのように言語を用いてご講演をされています。これも結局は限界があるということなのでしょうか?

森先生

教室が騒がしい時に「静かに!」と声を出すのは、さらに騒がしくさせていることに違いがないが、これをしなければ何も良い方向へ持っていけない。この講演は、その前提となる言語の限界を承知で、敢えてやっている。

 

(2)ハードとソフト

上出

これまでのところで、物理的なモノと触れ合うことによる、三昧の実践の重要性についてお教えいただきました。

一方で、最近では、人工知能やソフトウェアの技術の発展がめざましく、実際のモノに触れるというよりも、プログラミング言語の操作や情報を扱うことが、研究者だけなく、一般の人々の間でも広まっていると思います。そして、そのような情報を扱うことでも、プログラミングに熱中したり、三昧の経験をすることはあり得るのではないかとも感じます。

先生のお話では、物理的なモノとの触れ合いを重視されているように思えるのですが、現状普及しているソフトウェアとの触れ合いでは、不十分なのでしょうか?

森先生

ソフトからも学べるけれど、そのソフトを作った人間のレベルまでしか学べません。実は本当のことを言いますと、スライドの47頁~52頁にあるように、見る者(自分)が消えただけでは不十分で、見られるもの(対象)までもが消えた、「静寂」世界を体験する必要があるのです。

上出

私は心理学者なので、実際にモノに触れるというよりも、やはりパソコン上で論文を読んだりデータ分析をしたり、ソフトの世界でしか熱中することなく、大変心許ない気もします。エンジニアの先生のように、実際にモノに触れる機会というのは、実際には限られた人にしか与えられていないような気がするのですが、エンジニア以外の人はどうしたらいいのでしょうか。

森先生

ロボットであるからこそ、もの作りに夢中になるということは確かにあるかもしれないが、我々の日常生活は、モノで溢れている。お皿洗いなど、身近な物との触れ合いの一つ一つを丁寧に振り返ってみるだけでも、大きな気づきにつながるはず。モノというのは、究極的には自然から与えられているものであり、人間が作ったソフトとは違い、無限に学びをえることができるものである。

上出

確かにそうかもしれませんが、そのように、ソフトとハードを区別して議論するということは、結局のところ、二元性一原論でいう、下の次元に落ちてしまっているのではありませんか。

森先生

それが、言葉にすると、そうではなくなってしまうという、二元性一原論の一番難しいところなのです。

 

(3)技術の進歩と心の退歩

上出

エンジニアの立場としては、生じてきた環境問題や社会問題を、いかにして技術の進歩で乗り越えるのか、と考えるのが普通ではないでしょうか。政府や学術的な傾向として、こういった「物への倫理の根本」については全く議論されていないように思えます。むしろ、そういった自然への回帰というのは、技術の進歩に対するブレーキのように捉えられることが多く、今のこの現状とフィットしていないような気がしますが、どう考えられば良いのですか。

森先生

 

物への倫理を推し進めることが、技術の進歩を妨げる、というふうに考えてはいけない。これも結局は二元性一原論の下の次元での矛盾でしかなく、そのように考えること自体が、状況をますます悪化させてしまう。ただし、技術者は、単に、安穏と新規な技術を作っているだけでよい時代ではなくなっている、ということを自覚することは大切。今こそ、退歩が進歩なのです。螺旋階段のように、退歩に進むことが、ひいては進歩に繋がっていくはずです。

上出

問題や矛盾にぶつかった時は、自分のものの見方そのものが、そういった矛盾を生んでいる可能性に気がつくように考えることが大切なんですね。次元を上げたものの見方を身につけるためにも、三昧を修練するように努めたいと思います。