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みのつぶ短信第8回「小西先生,ちょっと早いんじゃないですか?」


 今年2019年9月5日,日本赤ちゃん学会理事長で,同志社大赤ちゃん学研究センター長の小西行郎先生がご逝去されました.享年71歳でした.突然の訃報に驚きと戸惑いと,「小西先生,ちょっと早いんじゃないですか?」って言い出したくなる気持ちが抑えられないままでした.筆者と小西先生はもちろん,赤ちゃんつながりで,浅田が提唱・推進してきた認知発達ロボティクスにおける,「赤ちゃんの発達から学ぶ」とともに「赤ちゃんの発達のミステリーにロボットで挑む」話のなかで,深く広く議論してきた研究仲間でした.本稿は,赤ちゃん学会誌ベビーサイエンスvol.19の小西先生追悼記念号に寄せた拙文を少し編集したものです.


赤ちゃん学会の衝撃

 2001年4月,早稲田大学国際会議場で開催された第一回赤ちゃん学会のプログラムをみていたら,なんと二日目最後のシンポジウム4「乳児の脳と行動の解明の新たなアプローチ」で,シンポジストとして出ていたことを思い出しました.座長は,多賀厳太郎先生と渡辺富夫先生で,シンポジストを兼ねておられました.浅田自身は「ロボットの認知発達:脳と行動理解の構成論的アプローチ」というタイトルで,なんと今も殆ど同じことを言ってるので,まさしく本質をついているからだという傲慢さの裏に,赤ちゃんのダイナミックな発達を研究対象としながら,研究スタイルが発達していないのは,非常にまずいという思いが錯綜しています.その時の赤ちゃん学会の衝撃はなんといっても,一般の方々もふくめて,多様な分野の研究者が集い,まさに学際的であると同時に,一般社会との繋がりも感じさせるものでした.それは,通常の学会が表向きOpen to publicと称しつつ,結局専門家しかあつまらないことが典型であったからです.これは,「赤ちゃん学」という平易な言葉のなかに,多様性や一般社会とのつながりを彷彿とさせる語感のなせる技で,初代理事長の小林登先生の偉業です.小西先生に言わせると「異種格闘技戦」ということで,まさに,前途多難な船出であったと記憶しています.


赤ちゃん学会とは

 先にもかいたように,赤ちゃん学会は多様な分野の研究者の集いで,お医者さんをはじめ,神経科学者,看護学者,セラピスト,霊長類学者,複雑系科学者,認知科学者,そしてロボット研究者などが集まっています.分野ではなく人で表したのは,人の集いに意味があるからです.これらの多様な人達が集まって,「赤ちゃん学」を語る時,それぞれの思いがある意味で,分野の文化やカラーがにじみ出ますが,これがそのままだとMultidisciploinaryで,一緒にいるだけです.そこから,少しずつ混じり合い,際ができはじめます.これは,Interdisciplinaryの状態です.そこから更に統合し,新たな学問分野「赤ちゃん学」が構築されたとき,Transdisciplonaryとなります.それを目指して2005年1月に刊行されたベビーサイエンス誌vol.4に上梓したのが,「認知発達ロボティクスによる赤ちゃん学の試み」で,ターゲット論文として多くの方々から熱い思いや期待とともに,厳しいコメントも頂きました.その中に小西先生からのコメント「「認知発達ロボットへの小児神経科医からのメッセージ」を頂き,浅田がロボットで暴走しないようにと釘を刺して頂きました.同年7月,ロボカップ2005大阪大会を仕切ると同時に,会期中,JST ERATOプロジェクトの最終審査のプレゼン準備に奔走していました.この準備段階で小西先生からのアドバイスを参考に赤ちゃんの発達というキーワードを入れ込むことができ,なんとか採択に至りました.ERATOプロジェクトの期間中である2008年4月には,第8回 学術集会を「赤ちゃんから学ぶロボットの脳・身体・心の発達」というテーマで大阪で開催しました.本来,大会長が基調講演を務めるべきと後で,小西先生に叱られましたが,東大の國吉先生に「赤ちゃんロボットの発達」というタイトルで基調講演をしていただき,その際,当時,瀬川小児神経学クリニックの院長の瀬川昌也先生から「ロボットというタイトルでどんが学会になるか心配だったが,基調講演に代表されるように,神経科学に根ざした素晴らしいものだった.」とお褒めの言葉を頂き,ほっとしたものでした.これが契機となり,瀬川先生には,ERATOプロジェクトの評価委員も務めていただきました.これも赤ちゃん学会,小西先生のネットワークの強さです.ERATOプロジェクトの終盤時期に小西先生から個別に相談があるとのことで,新学術領域の申請を考えており,協力してほしいとの要請を頂きました.浅田自身はERATOプロジェクトのあと,基盤(S)を確保していましたが,予算規模が足りないので,特別推進研究へのアップグレードを狙っているところでしたので,迷わず,國吉先生を推薦いたしました.同時期に応募し,どちらかが通ればラッキーと思っていたところ,ともに採択され,嬉しい悲鳴をあげたものでした.


ベビーサイエンス編集委員長の就任

 2017年の1月,中央大学で開催された赤ちゃん学会常任理事会で,なにを血迷ったか,ベビーサイエンスの編集委員長をやると浅田が言い出してしまい,悔いても,悔いても,悔いたらない状況は今日まで続いています.ご存知のように,ベビーサイエンス誌は,多賀元編集委員長のアイデアで年一回の出版,3つのターゲット論文とコメント,そしてその回答の3本仕立てで非常にユニークかつ刺激的な構成です.先に書きましたように,浅田もVol.4でターゲット論文を上梓させていただきました.これを踏襲しつつも,なにか新しい試みということで,海外の研究者からの論文を入れること,そして,浅田が編集委員長になったことを強調する意味で,小西先生に「日本赤ちゃん学会の18年から展望する」という論文を執筆していただきました.中井前編集委員長からは,18年は中途半端で,本来20周年記念特集号のネタですねと言われ,確かにそうだと思ったのですが,いまとなっては,書いといてもらって良かったという思いです.

 

おわりに

 ロボット学自身も設立当初の理工学を主体とした学問体系から,人文社会系も含めた真のロボット学への再構築を目指しているところですが,多様な学問の集合という意味では,赤ちゃん学会と同じ問題を抱えていると考えられます.学会としての連合もありますが,研究者レベルでプロジェクトベースで連携するほうが,メッセージ性は高いと考えています.これも小西先生との議論の中での結論です.

 

 小西先生への追悼文ということで,赤ちゃん学会に絡んで自身の出来事を並べてしまいました.これも小西先生とのお付き合いの中でさまざまな仕掛けのほんの少数に過ぎません.最後まで豪快に笑い飛ばしながら,若手を叱咤激励続けていただいた姿が最後にひかります.小西先生,ありがとうございました.

 写真は過日開催された小西先生を偲ぶ会の様子です.

日本ロボット学会
会長 浅田 稔