本エントリーは会長在任中に投稿された記事です。
前回からの続きで,書籍「大学という理念 絶望のその先へ」(吉見俊哉著,2020)[1]で描かれている大学を含めた日本の実情を説明する.
OECD、2020年版「図表でみる教育」では,公財政支出と家計支出を合わせた児童・生徒・学生1人当たりの年間教育支出(2017年)は,OECD平均の1万1231ドル(米ドル換算)に対して,日本は1万1896ドルで遜色ない水準(2017年).日本は家計からの教育支出が3409ドルと多く,米国(5814ドル),英国(4665ドル),オーストラリア(4505ドル)に次いで4番目になり,教育に対する家計負担が重いことが分かる(添付図1参照). 結局,家計が「我が子の学歴獲得」のために支援していることになっている.
図1
日本の18歳人口は,減り続けているにも関わらず,大学の数は増え続けてきた(図2,3参照).大学進学率50%突破し,大衆化した.私学による志願者マーケティングが横行し.学部名称が激増した.1985年で80種類,90年で97種類,95年に145,2000年に235,2005年に360,2010年に435で,学部名称のカンブリア紀的大爆発と呼ばれている.結果,個人商店街としての日本の大学は,全体的視点が欠落しており,1991年の大綱化(「教養部」の改組(廃止))により更に悪化した.履修科目は米国の2倍以上で,学生・教師ともに疲弊し,質の低下を招いた.さらに,グローバル化とネット対応の遅れにより壊滅的状態である.前回示したように,大学の体制が複雑骨折で超折衷状態で,そのため,本来,責任と権限を持つ専門職員への委託がなされず,教員が忙殺されている.よって,旧態然とした組織体制が改革されず,霞が関より官僚的な大学組織と称されている.
図2
図3
このような絶望的な状況では,知の創造拠点としてあるべき大学の姿からは程遠いが,著者の吉見俊哉は,ダブルメジャーとリカレント教育を掲げる.前者は,文理(芸)の境がないリベラル・アーツを少しでも実践につなげる策であろうし,後者は知の創造拠点として,世代を越えた位置づけを狙う.
ロボット學もそのような大学であれば,学べる可能性があると考えている.技術がどのように社会に影響を与えるかを研究開発者の視点のみでなく,多様なユーザーと一緒に総合的かつ俯瞰的に検討することが大切だからである.
さて,皆さん,文科省が55年ぶりに新しい大学制度を作ったことをご存知だろうか?通常のこれまでの大学,短期大学に加えて,専門職大学という制度である.多様な専門職大学がすでに開校されているが,ロボット學に最も近いのは,国際工科専門職大学で,東京校が2020年4月から,コロナの渦中に開校した.大阪,名古屋の二校は2021年4月開校である.例えば,大阪国際工科専門職大学では,工科学部の単科であり,1学年160名の定員,教員30数名で,風通しがよく,それ故,心豊かなコミュニケーションが可能である.教師と学生の協同組合として生まれた大学(ウ二ベルシタス)の原点に近い.単科ではあるが,実務経験を重視することで,社会との繋がりを強化し,頭でっかちになりがちな専門家ではなく,社会を設計していく専門職(プロフェッショナル)の育成を目論む.何よりも,吉川弘之学長(元東大総長,第17,18期日本学術会議会長)が,Designers in Society をモットーに,「夢に導かれて学ぶ、夢を具現化する4年間」と熱く語っている.何を隠そう,浅田は副学長就任予定であり,おもろい夢を一緒に育んでいくつもりだ.先日行った学長・副学長対談の様子(図4)が公開されており,新しい大学の形を感じとってもらいたい.
図4 https://www.iput.ac.jp/osaka/topics/28765
日本ロボット学会
会長 浅田 稔
[1] 吉見俊哉,「大学という理念 絶望のその先へ」東京大学出版会,2020